日本庭園作庭流派のうちの一つで、嵯峨流と四条流の二派が非常に古い時代に二代流派として現れている。黒川同祐の『雍州府志』(貞亭年間,1684-1687)、『茶書全書』(元禄7年,1694)、『和漢三才図会』(正徳2年,1712)など、その他の書にも二派の名前が記されている。